~今年初めて出会った東公園のあじさいの花~
「信じていたのに」――人とのつながりが怖くなった日
過去に、人から嘘をつかれて悲しい思いをした経験は、誰しも少なからずあるのではないでしょうか。
たとえば――
幼い子どもに予防接種を受けさせようと、母親が「お菓子を買いに行こう」と誘う。
喜んでついて行った先で待っていたのは、注射針。
子どもは、身体の痛みに加えて、信じていたお母さんに「騙された」と感じて、心に深い痛みを覚えます。
大人になっても、その体験が無意識に残っていて、
「人は嘘をつくものだから信じられない」という思い込みとして、心に重くのしかかってしまうことがあります。
その思い込みが強くなると、人とのつながりを築くこと自体が難しく感じてしまいます。
せっかく結んだ人間関係も、やがて切れてしまう。
そして、関係が切れたときの心の痛みは、想像以上に深い。
だから、また誰かと関係を結ぶのが怖くなってしまう。
「自分のことを本当にわかってくれる人なんて、この世に誰一人いない」
そんな強烈な孤独感に襲われることもあるでしょう。
その孤独感から逃れようとして、安易な関係に飛び込んでしまったり、
誰かや何かに依存してしまったりすることもあります。
「孤独」はいけないこと?――本当は、自立への第一歩だった
でも、孤独を感じることは、悪いことでしょうか?
私は今、こう思っています。
孤独を感じることは、自立への第一歩なのではないかと。
はじめにお話した、注射の痛みと心の痛みを味わった幼い子ども――それは、私自身です。
この体験を、ディマティーニ・メソッドを通じて深く見つめ直してみました。
専門家のサポートのもとで向き合ったとき、こんな気づきが浮かんできました。
「人間関係は、切れては結び、また切れては結ばれていく。
その中で、人は痛みと喜びを学び、魂が成長していく。」
「孤独感を埋めるためのつながりではなく、
本気で“自分自身の魂”とつながりたい。」
「自分の人生の主人公は自分。
出会う人たちは“登場人物”であり、
その関わりの中で、自分を知っていく。」
魂とつながる――本当の関係性のはじまり
他者の言動や出来事には、もともと「善」や「悪」があるわけではなく、
その体験から何を学ぶかが、自分にとっての意味になるのだと思います。
たとえ“孤独感”を感じても、
本当の意味で“孤独”という状態は存在しないのかもしれません。
人は一人では生きていけません。
毎日の食事ひとつをとっても、それが食卓に届くまでに、どれだけ多くの命や手間が関わってくれているか――
そう思うと、私たちはすでに「たくさんの命」と繋がっているのです。
本当の“つながり”とは、まずは自分自身としっかりつながること。
そして、自分とつながった者同士が、自然と引き寄せられて出会い、
別れ、また出会い直す。
そうやって私たちは、大きな“命の輪”の中で、魂と魂を響かせ合っていくのだと思います。
相手を思いやる心。
その奥にある「愛」。
そして、そのさらに奥にあるのが、「魂」。
私は今、それを信じています。


