「国宝」から見つけた、定年後の私の生きる道

    
     ~皇居 二重橋と龍雲~

【自分と向き合うきっかけ】

「自分のやりたいことは何だろう?」

定年を過ぎて独立し、税理士として3年目を迎えた今、ふとそんな問いが頭をよぎることがあります。

職場というコミュニティを離れ、自分の力で道を切り開こうとする中で、この道で本当にいいのだろうか?と不安になることも少なくありません。

周りの知人たちの活躍を耳にするたびに、焦りや挫折感を味わうこともあります。

私は、元々、大勢の人との会話が得意な方ではなく、懇親会のような場は少し苦手。

それでも、新たな挑戦として、積極的な営業活動にも取り組んできました。

そこで気づいたのは、「一人の時間も大切だけど、人と関わることも嫌いじゃない」ということ。

職場では知り合えなかった人たちと出会うこと。

それこそが、定年後の大きな挑戦の一つだと感じています。

振り返れば、現役時代にカウンセラーの資格を取って学んだのも、人と深く関わることへの挑戦だったのかもしれません。

【無意識が導く道】

そんな風に「自分の道探し」を続けていたある日、不思議な出来事が立て続けに起こりました。

まず、別々の人から、話題の映画「国宝」を観ることを勧められたのです。

その数日後、図書館でたまたま手に取った一冊の本に、日本天台宗の創始者である伝教大師・最澄のこんな言葉を見つけました。

国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名付けてこれ国宝となす。

さらに、そのわずか3日後。ある人のメルマガを読んでいたら、再び最澄の言葉が目に飛び込んできました。

国の宝とはなにか。宝とは、道を修めようとする心である。この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。

立て続けに「国宝」というキーワードが飛び込んできたとき、私の無意識は何かを必死にキャッチしようとしていたのかもしれません。

「もしかして、こういうことだったのか」と、すとんと腑に落ちる感覚がありました。

【見つけた「私の道」】

それは、財貨や名誉を得た人ではなく、「道を修めようとする心」、つまり「道心」を持つ人が社会にとっての宝なのだというメッセージ。

そして、社会の片隅にいたとしても、その場所で社会を照らすような生き方をせよ、というメッセージを、私は受け取ったのです。

目の前の人に温かい言葉をかける。

自分自身、家族、友人、そして出会う人々の幸せを願う。

こうした一人ひとりの温かい想いが、社会全体を明るく照らす光になる。

そう信じられるようになった今、私はこの地道な活動を始めていきたいのです。

あなたにとっての「一隅を照らす」とは何ですか?

タイトルとURLをコピーしました